解体屋
太陽が昇るにつれて車内は暑くなり、道路は次第に渋滞してくるのでした。雲一つない快晴の空だけが清々しく、暑さや渋滞だけでなく、何故か無口になったお客さんにもストレスを感じるのでした。30分ほどの沈黙が続き私の方から話掛けようかと思うのですが、何をどう話したらいいのか分からないのでした。お客さんは顎の下に握った手を当てて、斜め下を見ています。ロダンの考える人のポーズです。実際に考え事をしていたらしく、顔を上げると話始めたのでした。
「実はこの話は信じられないと思うので、話そうか考えていたんだ。」
既に今までの話も充分信じられないのに、それ以上に信じられない話なんてあるのかと思うのでした。
「俺の仕事は建造物等を取り壊して更地にするという仕事なんだ。いわゆる解体屋と言われるやつだな。会社の社長は俺の親父で、俺は専務なんだよ。自分で言うのもなんだけど、解体屋としてはかなり優秀なんだよ。うちの会社に解体出来ない建造物はないね。だから日本中から依頼が来るんだ。それで昨日仕事が終わって、社員は先に帰ったんだけど、俺だけ依頼主と話さなきゃならない事があって残ったんだよ。それで夜、暇だったんで、スナックバーに飲みに行ったという訳なんだ。本当は今日依頼主と会わないといけないんだけど、こんな事になって、仕方ないから後で電話でもするしかないな。」
この人の話は信じられない事ばかりなのですけど、この後の話は本当に信じられないものでした。
「これまでに解体した建物は数も種類も多岐に渡ると言えると思うけど、例えば廃病院とか、焼き場とか、いわゆる幽霊屋敷とかもあった。しかし、それで何かがあったとかは一切なかったんだ。ところがその問題の建物は、船や飛行機の部品を造る工場だったらしいのだけど、かなり大きくて丈夫そうな石造りの建造物で、一見してうちの社員だけでは人が足りないと思い、20人ほどのアルバイトを募集したんだ。それで仕事内容を説明するのに、この建物を取り壊すと話したら、みんな、それなら辞めると言うんだ。それでその中の一人に理由を聞いたら、今までその建物は何回も壊そうとしたんだけど、それをした人は事故で死んだり、病気になって死んだり、自殺したりしたと言うんだ。それを聞いてさすがにヤバいかもと思って、社長に電話したら、そんな建物を今までにも壊して来ただろ、下らないことを言うなと怒られたんだよ。しかたないので、少し離れた土地で人を集めて取り壊しを始めたのだけど、始めた当初から異様な事が起きたんだ。」
取り壊し初日
「取り壊しを始めた初日に、現場の中に何もしないでボーと立ってるだけの奴がいたんだよ。たくさんのバイトを雇っていたので、顔を覚えていないのもいたから、バイトの一人だと思って、ちゃんと働くように注意しようと近づくと、消えてしまったんだ。現場の足元はいろいろ散らばっているので、一瞬だけ視線を足元に移しただけなのに、その瞬間に消えたんだよ。近くにいたうちの社員に、ここにいた奴を知らないかと聞いたら、誰もいなかったと言うんだ。」
私は信じてはいないのですけど、頭の中ではその光景が浮かんでいました。面白いので聞き入っていたのでした。
「その時は、俺は幻覚だと思っていたんだ。その建物を壊そうとした人間が、皆死んだと聞いた時、その他にもいろいろなイワレの様なことを聞いたんだよ。それは大体こんな話なんだ。その建物は船の部品などを造る工場だったらしいけど、戦時中は戦闘機のエンジンやプロペラなども作っていたらしいんだ。その地域には他にも関連した施設などがあって、当然、たびたび空襲を受けたと言うんだ。しかしその建物はやたらに頑丈で、空襲警報が鳴ると防空壕代わりに、周りの施設から皆が避難するところになっていたと言うんだ。近所の農家の人まで避難して来ていたらしいんだよ。爆弾の直撃にも耐えられるその建物に、ある夜の空襲で200人ほどの人が避難していた時に、爆弾ではなく、いわゆる焼夷弾が、地上を跳ねて窓から飛び込んだらしいんだよ。そこが不運にも燃料の保管場所の部屋だったというんだ。それでその夜200人の人間は一人残らず蒸し焼きになって、死んでしまったというのだよ。それからは、夜な夜な人のうめき声がするとか、夜中に人の気配がするとか、評判の心霊スポットとしてその地域では知られた建物になっていたということなんだ。そんな話を聞いていたので、幻覚を見ているのだと思ったんだよ。それでその日は仕事を早退して、帰って休むことにしたんだ。」
もちろん、やはり幻覚だったという結論ならこんな話はするはずもなく、だからと言って、この人が何を言いたいのかこの時点では、想像も出来ないのでした。
もんぺを履いたお婆さん
「翌日はよく寝たので幻覚も見ないのじゃないかと思っていたんだ。ところがその日は現場の中に、モンペを履いたお婆さんが現れたんだよ。その傍らには10歳くらいの子供が立っていたんだ。二人共防空頭巾のようなものを被っていた。前の日に現れたのは男で、アルバイトだと思ったのだけど、モンペのお婆さんや子供は、アルバイトであるはずもないので、仰天してしまったんだ。」
それはそうだと思ったのですけど、少し疑問が生じたので聞いてみました。
「前の日に現れたのは服装がおかしくはなかったのですか?」
「いや、そうなんだけど、今の服装じゃなかったのだけど、多分いわゆる国民服と言うやつじゃないかと思う。それにヘルメットも被ってないので、おかしいと思わないといけないんだけど、その時はちょっと個性的な作業着に見えたんだ。ヘルメットも被らないといけない決まりなんだけど、汗を拭くのに一時的に外すこともあるので気にしなかったんだ。」
カーキ色の国民服というのは、戦争映画などで見た記憶がありますが、確かに作業着に見えない事もないと思うのでした。
「それで、そのお婆さんも突然消えてしまったのですか?」
「あー実はそのお婆さんは消えたかどうかは分からないんだ。さっきも話したように俺はそのお婆さんを見て、あまりにも驚いてしまって、立ち尽くしてしまったんだよ。そのお婆さんは最初は少し俯いた様子で、下を見ていたんだ。俺は4~5m前に立っていたんだ。するとお婆さんはゆっくりと顔を上げてきたんだ。俺はどうにも体が動かなくて、その様子を見ているしかなかったんだ。やがて眼と眼が合ったんだよ。別に恐ろしい目だとか、恨めしい目だとかじゃなかったんだけど、俺は腰が抜けてしまったんだ。運転手さんは腰が抜けた経験はあるかい?」
結構厳めしい顔をしたそのお客さんが、腰を抜かした姿を想像して、私は笑ってしまったのですが、その人も笑っていました。
「いや、そんな経験はありませんね。そのお婆さんが恐ろしかったという事ですか。」
「まあ、そういう事になるね。体中から冷や汗がでて、へなへなという感じで座り込んでしまったんだよ。腰から下に力が入らず、まるで立ち上がれないんだ。それで這うようにして、事務所に移動したんだ。だからそのお婆さんが消えたかどうかは分からないんだ。」
絶対に作り話だと思いながらも、何故そんな話をするのかを考えるばかりでした。新手の宗教の勧誘を用心するのですが、それらしい展開にもなっていきません。ただ話は面白いのでどんどん引き込まれていくのでした。
地震・雷・火事・親父
「事務所に戻って、親父であるところの社長に電話して、やっぱりこの仕事は中止すべきだと言ったんだ。だけど親父は駄目だと言うんだ。あなたには分からないかもしれないけど、俺はファザコンなんだよ。親父には逆らえないし、何時も親父に褒められるように頑張るんだ。子供の頃から、いまだにそうなんだ。俺は悩んだけど、亡霊とはこの現場が終われば切れるに違いないと思っていたし、親父はまだまだこれからも一緒に暮らしていくのだと考えたんだよ。その考えは間違っていたんだけどね。」
私のことを運転手さんからあなたに変わったのは、少しばかり親近感を持ったのかもしれないと思ったりしました。それにしても、亡霊と親父を比べて親父のほうが怖いと言っているようなものだと思い、不思議な気がしました。ファザコンというのはそういうものなのでしょうか?私なら、ふざけるな、相手は亡霊だぞと言って喧嘩になるだろうと思いました。確かに地震、雷、火事、親父、と怖い順に並べますが、亡霊は着外らしいので、親父が怖いので正しいのかもしれませんが。
「しかし、その建物を壊そうとした人は皆死んだと言っていましたが、あなたは生きているのですから、そこは大丈夫だったという事ですか。」
「まあ、そこは何とか生き延びたのだけどね・・・だけど工事中は本当に大変だったんだ。亡霊は毎日現れるし、それも毎日違う人間なんだよ。200人も死んでるんで入れ替わり立ち代わり現れるんだ。恐怖で熱が出たりしたし、俺に襲い掛かってくるような奴もいて、気が狂いそうにもなったんだ。何度も逃げようと思ったんだけど、逃げたら親父に怒られるから、何とか頑張ったんだよ。」
ファザコンのおかげで生き延びたという事なのでしょうか。
「俺にはよく分かったね。その建物を取り壊そうとした人が死んでしまったのは当たり前の事なんだと思うよ。精神的に追い詰められて、事故ったり、自殺したりしても何の不思議もないと思うしね。俺も本当にぎりぎりのところだったと思うよ。正直に言うと俺は会社の専務という立場なんで、社員には迷惑だったと思うけど、酒を飲んで現場に出ていたんだ。飲まなければやってられなかったんだよ。社員の中には白い目で見ている奴もいたけどね。今思えば悪かったと思うけどね。もし内の社員にそんな奴がいたら、俺は間違いなく首にするしね。」
そう言って笑うのでした。ファザコンのおかげではなく、酒のおかげだと言うのですが、私はその両方のおかげだと思ったのでした。
取り壊し完了
「二日酔いとかではなく毎日朝から飲んで、休憩にまた飲んで、昼にも飲むのだから、毎日酔って仕事していたんだよ。酔っぱらっていても、現れる亡霊にびくびくしていたんだ。内の社員は事情がよく分からないらしく、次第に俺を無視するようになったんだけど、皆優秀だから、俺がいなくても仕事には支障ないんだけどね。本当に優秀な社員のおかげで順調に取り壊しも進んだんだよ。屋根の部分が取り除かれると、亡霊が出なくなったんだ。嬉しかったね。」
「屋根が取れて太陽光が入って亡霊が出れなくなったのですかね。」
「それは分からない。今思うと出なくなったんではなくて、ただ見えなくなったのだと思うね。奴らは何時も俺の側にいるのだと思うんだよね。」
「ちょと待ってください。もしかして、今も貴方の側に亡霊がいると言うのですか。」
「言いにくいけど、多分そうだね。」
「私には何も見えませんけど、あなたには見えているのですか?」
「今は見えないね。昼は見えないんだよ。まあ、話を聞いてくれよ。聞いてもらえば、分かってくると思うよ。」
当然私は、信じてないのにルームミラーを覗くのでした。もちろんお客さん以外は見えません。まだ午前中ですので、それほど怖いとは思わないのですが、もし夜だったら、ルームミラーは見れないかもしれません。
「とくかくそんな訳で、取り壊しは完了したんだけどね。俺は喜んで家に帰ったんだよ。ところがそれから事件が起きるんだ。」
その頃車は厚木辺りでした。小田原には厚木小田原道を使うのが早いので、どうするかと聞いてみました。
「高速はカメラがあるから、後で調べられそうだから、使わないほうがいいな。それより、やっぱり小田原じゃなくて、もう少し先まで行ってくれないか?」
私は少し悩みましたが、話の続きも気になるので、沼津まで行く事を承諾したのでした。
200人の亡霊に憑りつかれた人3へ続く