200人の亡霊に憑りつかれた人3

沼津へ

小田原へ向かっていた私は沼津に変更する事を承諾したのでした。このお客の話を信じていないのに、否定する事を出来ずにいるのです。沼津に着くころにはやっぱりバカバカしいと結論付けることが出来るだろうと思うのでした。その上に、信じてもいないのに、話の続きに興味深々なのでした。

「取り壊しが終わって家に帰ると、親父は俺を褒めてくれたんだよ。やっぱりお前は出来ると信じていたと言ってくれたんだ。俺は嬉しかったね。頑張って本当に良かったと思ったよ。その晩は親父と飲んだんだ。それでかなり酔って、自分の部屋に帰ってベットに入って、直ぐに寝てしまったんだ。だけど夜中に目が覚めて、枕もとの水を飲もうとしたら、人の気配を感じたんだ。酔って寝ると夜中に喉が渇いて目が覚めたりするので、枕もとに、ペットボトルに水を入れて置いているんだ。そのペットボトルの先に人がいるんだよ。黒いズボンに白いワイシャツの中学生くらいの男だった。俺は亡霊だと直ぐに分かった。あの例の建物の取り壊しの時にも、中学生くらいの男の子や女の子は何度も現れたからね。多分戦時中は中学生も工場に動員されていたんだと思うんだよ。俺は恐ろしくてその晩は布団を被って震えていたんだ。夜が明けて明るくなると消えてくれたので、それから少しだけ寝て、寝不足で、次の日は仕事をしたんだよ。だけどその事は誰にも話さなかったんだ。どうせ信じてくれないと思ったからね。」

「確かに信じてもらえないと思います。私も疑っていますからね。」

「そうなんだよ。俺だって信じられないんだからな。亡霊なんているはずないと思っているんだからな。だけどいるんだよ。俺には見えるんだよ。いなければいいと本当に思うんだけど、いるんだから仕方ないんだ。」

本人も信じていないとか、いなければいいとかいう言いかたは、なんか妙に真実味があるのでした。

「その日から、夜中に目を覚ます度に亡霊が現れるんで、毎回布団を被って震えていたんだけど。耐えられなくなって、帰るのを止めてスナックや居酒屋で正体不明になるまで飲んで、気が付いたら家で寝てるというような日々を続けたんだ。そしたらある日、スナックで飲んでいて、少し離れた席に、何もテーブルにないのにそこに座っている奴を見つけたんだ。それで店の人に、あの人は何をしているのか聞いたら、誰もいないと言うんだよ。ようするに亡霊なんだよ。それ以来、居酒屋でもどこでも、亡霊は俺の行くところに現れる事に気が付いたんだ。」

出入り禁止

正体不明になるまで飲むと聞いて、私が先ず思ったのは店の人はさぞかし迷惑だったろうなという事でした。そこまで飲めば、必ず他人に絡んだり、寝てしまって起きなかったりするからです。そのあたりの事を聞こうとしたのですが、聞かなくても、やはりそんな風な話を始めたのでした。

「俺は随分前から通っている馴染みの店なのに、ある日もう来ないで欲しいと言われたんだ。どうも俺は覚えてないんだけど、店員に絡んだり、寝てしまって起きなかったりしたらしいんだよな。

それはそうだと思いました。それほど飲めばそうなるだろうと思うのでした。

「結局近所の店はどこも出入り禁止になってしまったんだ。それで仕方なく隣の町まで行ったりしたんだけど、最後はどこも出入り禁止になったんだ。」

本人はどう思っているのか分からないのですが、よほど酷かったのだろうと思いました。タクシーのお客さんでも、暴れたり絡んだりする人より、寝てしまって起きない人が一番困るのですが、多分そんな事が多かったのでしょう。

「仕方ないので毎日家に帰るのだけど、帰り道で飲むんだよ。ワンカップとか、ポケットビンのウイスキーなんかを飲みながら帰るんだ。」

「なるほど、酔って帰って直ぐに寝てしまうんですね。そうすれば、亡霊には会わなくてすむわけですね。」

「そう思うだろ、甘いね。確かに酔って帰って直ぐに寝てしまうのだけど、早くに寝るので、どうしても夜中に目が覚めてしまうんだよ。すると枕もとに亡霊が立っているんだ。俺は布団を被って震えているしかなかったね。寝不足になるし、食欲も無くて、その頃はガリガリで、目の下に隈があったんだ。もう追い詰められて、死にたいと思ったよ。本当に自殺する寸前だったと思うけど、そんな時に親父に呼ばれたんだ。」

「さすがにあなたを見て、あなたのお父さんは異常だと思ったのでしょうね?」

「そうだよね、親父は俺にこう言ったんだ。最近のお前はおかしい。いったいどうしたんだ、とね。俺は少し迷ったけど正直に亡霊の事を話したんだ。すると親父は、どうしてもっと早く俺に話さなかったんだ。それは大変だったね。心配はいらないぞ、俺にまかせろ、そういった事を解決出来る人間を知っているから、俺について来い。と、そう言ってくれたんだよ。俺はそれを聞いて喜び勇んだね。さすがに親父は、すごい霊能者とか除霊師とかを知っているんだと、感心したんだ。助かったと思ったよ。」

麻雀仲間

何度も言うようですが、私はこの人の話を信じてはいませんでした。しかしこの時点では、何故か同情していたのです。亡霊に悩まされているこの人が救われるのを望んでいるような気になっていました。

「良かったですね。それで除霊は上手くいったのですか?」

「うーん、それがだな・・・」

そう言って言いよどんでいたのですが、

「あくる日は仕事も休みにして、親父の車の助手席に座らされて出掛けたんだ。俺は親父にどんな人の所へ行くのか聞いたんだけど、親父は、大丈夫だから、全て俺に任せておけと言って、何も教えてくれないんだよ。俺はどんなすごい霊能者に会うのか知りたかったんだけど・・・分かるだろ?」

「それはそうでしょう。気になりますよね。」

「だろ、だけどその理由は直ぐに分かったんだよ。行った先は家から10分ほどで、俺も良く知っている所だったんだ。家からは1キロもない所にある精神病院だったんだよ。あーそうかと思ったよ。そこの院長先生は地元の名士で、俺の親父もかなり格下だけど、一応地元では名士と言われているし、二人は麻雀仲間でもあるしね。要するに友人関係なんだよ。俺も知っている人だしね。その時は何で気が付かなかったのかと思ったね。」

私も成程と思いました。確かに親の気持ちになれば、至極正常な判断だと思うのでした。

「それであなたは拒否したのですか?」

「俺が親父に逆らうわけないだろ。黙って従うしかないんだよ。もちろん俺は精神病だなんて思っていなかったけど、俺がそう思っているだけで、本当は病気なのかもしれないという気もしていたしね。その時は少し落胆していたけど、それは親父が俺を精神病だと思っているんだと思ったからだな。俺の言った事を信じなかったのも、俺をガッカリさせたけど、内容が内容だから、まあ、仕方ないかもしれないな。俺を担当してくれた先生は、院長先生じゃなかったけど、その方が気が楽な気がしたな。だけど、多分親父が事前に電話でもしていたんだと思うけど、いきなり何かおかしな妄想のようなものを見るそうですね、と言われて少しむかついたね。俺は妄想なんかじゃないと言いたいんだけど、もしかしたら妄想かもしれないという気もしているんだ。しかしどちらにしても、亡霊が消えてくれればそれでいいんだし、ここは素直に医者の言う事を聞こうと思ったんだよ。」

精神病なんかじゃないけど精神病かもしれない、妄想なんかじゃないけど妄想かもしれない、亡霊は怖いけど親父も怖いという紛らわしいようなこの人の精神状態や葛藤がよく分かったのですけど、この話の流れでは、全ては妄想でしたとはならないだろうなと思うのでした。

精神安定剤

「それで、亡霊は消えてくれたのですか?」

当然亡霊が消えることなどないと思ったのですが、一応そう聞いてみたところが、消えはしなかったものの、この人と亡霊との関係が激変したらしいのでした。

「いや、亡霊はやはり現れたんだ。その晩、俺は医者の言う通りにアルコールも止めて、処方された薬を飲んで、一人で部屋にいたんだ。よくわからないけど、いわゆる精神安定剤とかいう薬だろ。医者は抗精神病薬とか言っていたと思うけど、飲むと眠くなって、やたらとだるくなって、何んというか、何もやる気にならなくなるという感じになるんだよ。分かるかな。」

「よくわかりませんね。でも、何となく分かる気もします。」

「それはそうだな。俺もどう言えばいいか分からないんだけど、例えばテレビのニュースなんかで、子供が殺されたなんて聞けば、普通は酷いと思うだろ。だけどその薬を飲むと、それがどうしたの?みたいな気分になるんだよ。」

「ああ、確かにそう言われると、かなり分かる気がします。」

「その晩現れたのはスーツ姿の初老の男だったな。それまでの俺だったら、恐ろしくて布団を被って震えるところだけど、薬のおかげか、ああやっぱり現れたか、という感じになったんだよ。あまり怖いという気が起きないんだ。」

精神安定剤のような薬がどの様な作用があるのか、私には分からないのですが、感情の抑揚を抑えるのだろうとは想像できます。その効能の中に亡霊に効くとは書かれていないでしょうから、製薬会社の方に、是非その一行を書き加えることをお勧めしたいと思います。

「俺はその初老の亡霊に向かって、もういい加減に現れるのは止めてくれないかと言ったんだ。それまで亡霊に話し掛けたことなどなかったから、まさか亡霊がしゃべるなんて思ってもいなかったけど、こう言ったんだよ。お前が俺たちの居場所をなくしたから、帰る所がないんだ。とね。もし薬を飲んでなかったら、そんなことを言われたら恐ろしくて自殺していたかもしれないね。だけどその時は、そうか俺のせいなんだと思って、それは悪い事をしたと思ったんだよ。それで亡霊に素直に謝ったんだ。俺のせいで迷惑をかけて申し訳ありませんでした。と言って、土下座をしたんだよ。そしたら、亡霊は消えたんだよ。その時は。」

「その時は、と言うのは、また現れたという事ですか。」

「そうなんだよ、次の晩にまた現れたんだよ。俺が思うには、あの初老の亡霊は俺を許してくれたんだと思うけど、何しろたくさんの亡霊に憑りつかれているので、許してくれない奴もいるという事じゃないかと思うんだ。」

なるほどそうかもしれないと思いましたが、そうなると何しろ200人もの亡霊が憑りついていると言っていたのですから、全ての亡霊の許しを得るのは不可能だろうと思うのでした。しかし、この人の話は、この後全く想像も出来ない方向に展開していったのでした。

亡霊と世間話

「亡霊は相変わらず現れるのだけど、薬のおかげもあって、恐怖で震える事はなくなったんだ。ただ薬を飲むととにかくだるくなって、飲みたくはないんだよ。人によっては、麻薬のように依存症になるようだけど、俺には合わないようで、とてもじゃないけど飲み続けるのは苦痛だったんだ。それで親父や医者には、もう亡霊は見えない事にして、薬を飲むのは止めたんだ。」

「だけどそうすると、亡霊が恐ろしいんじゃないんですか?」

「それが、すっかり亡霊に慣れてしまったんだな。亡霊は現れても別に何もしない事に気が付いたしね。まあ、何もしないじゃなくて、何も出来ないんじゃないかと思うんだよね。現れた亡霊と世間話をしたりしてたんだよ。」

亡霊と世間話?そうすると次は亡霊と友達になったなんて言いそうだな、などと考えていましたが、さすがに友達にはならなかったようでした。

「あなたも少し疑問に思っていたようだけど、例の工場跡の取り壊しで屋根の部分を取り除いたら亡霊が出なくなったのは何故なのか、亡霊自身に聞いてみたんだよ。そうしたら出なくなったのではなくて、そこにいたらしいんだ。実際には分からないんだけど、太陽光が差し込んできたからなのか、単に俺には見えなくなったという事らしいんだよ。だから前にも言ったけど、今も俺の周りにはたくさんの亡霊がいるはずなんだ。夜になると見える亡霊は一人か二人なんだけど、その時も実はたくさんの亡霊が周りにいるらしいんだ。要するに俺の霊能力が弱いから見えないみたいだな。もっと強力な霊能者なら俺の周りにたくさんの霊がいると言うと思うよ。多分。」

この人の話を私は信じていないはずなのに、私の背中にたくさんの亡霊を感じて冷や汗が出ているのは、否定出来ないのでした。

「そうすると、夜になると私にも亡霊が見えるのですかね?」

「どうかな?俺の親父は見えないみたいだし、スナックや居酒屋の店員も見えなかったみたいだしね。あなたに霊感があれば見えるかもしれないけど、もしかしたら俺の頭がおかしいのかもしれないしね。要するに本当は亡霊なんかいないのかもしれないしね。だけどこの亡霊の話はずっと誰にも話せなかったので、話せて良かったよ。少しすっきりしたよ。ありがとう。」

礼を言われて話も終わりだと勝手に思ったのですが、ヤクザの話が中途半端なままでした。すっかり忘れていたのですが、この後の話ですべてが結び付くのです。

200人の亡霊に憑りつかれた人4に続く