タクシーでお花見をするひと

 青山墓地の桜

 今はもう桜の花は散ってしまいましたが、満開の桜を見ると思い出す人たちがいます。今日は正月の乗り逃げの話を書くつもりでしたが、今年も思い出したので、タクシーでお花見をした二組の人の話をしようと思います。

 ひとりは十数年も前になりますが、無線で配車された年配の女性です。私がどちらへ行かれますかと聞きますと、東京の桜の名所へ行ってくださいと言われたのです。桜の名所もいくつかありますけど、どちらが宜しいでしょうかと尋ねましたところ、どんなところがあるのかと聞かれましたので、上野公園、千鳥ヶ淵、墨田川の川岸、それから飛鳥山といったところですね、と答えました。するとその方は、それじゃあその全部へ行ってくださいと言うのです。当然ですが少し驚いた私は本当に全部に行かれるのですかと聞き返しました。するとその年配のご婦人は、私は今年で90にもなったので、もうお花見も今年が最後だろうから贅沢しようと思うんですよと言いました。私はお世辞ではなく、まだまだ若く見えますし、そんなことを言ってまた来年も同じ事を言ってお花見をするんではないですかと言いますと、うふふふと嬉しそうに笑うのでした。

 246を走り表参道を過ぎた辺りで、青山墓地の中の桜を思い出した私は、青山墓地の中にも桜並木がありますけど、どうですかと聞きました。ご婦人は、そうですね行きましょうと言われました。墓地の中を真っ直ぐに横切る道は両側が桜並木になっています。そこは予想以上に奇麗でした。お墓とお墓の間にブルーシートを敷いてお花見をしている人達がいます。お墓でのお花見は少し不謹慎な気がしますねと言いますと、ご婦人は私のお墓の上なら大歓迎ですよとおしゃるのでした。こんな場所のお墓に入りたいですねと言われます。私はお墓に入るのなんてまだまだ先の話でしょといいますと、やはり嬉しそうにうふふふと笑うのでした。

 本当によく笑う人でした。私のつまらない冗談にもあははと大きな声で笑います。しかし私はその明るい様子に騙されているのかもしれないと思い始めました。もしかしたら、本当に今年が最後のお花見なのかもしれないと思ったのです。癌か何かで余命を宣告されているとかかもしれないと思ったのでした。

 千鳥ヶ淵の桜

 青山通りから内堀通りを左折して千鳥ヶ淵へ向かうと、イギリス大使辺りからは右も左も桜並木になります。千鳥ヶ淵の交差点を曲がるか墓苑入り口を曲がるかを聞いてみますと、すべて任せますと言いました。私は少し考えて墓苑入り口を曲がることにしました。しかし千鳥ヶ淵は土手の上からお濠側を見るのが一般的ですので、土手の上を歩かれるのでしたらどこかで待ちますと言うと歩きたくないと言います。やはりあまり歩く事が出来ないのかもしれないと思いました。

 墓苑入り口の交差点を右に曲がると狭い一方通行です。桜の時期は必ず渋滞します。多分駐車場に向かう車が渋滞を作るのだと思います。どの車も早く駐車して花見に行きたいとイライラしているのでしょうけど、こちらは車でお花見をするのですからかえって好都合です。土手の上に上がれる道の下には焼き芋を売る軽自動車が付けています。角々にいて焼き芋を買うお客さんが並んでいる所もありました。千鳥ヶ淵では飲食は一切禁止なのですが、何故か焼き芋だけが許されているのですと言いますと、凄い、物知りですねと言われました。どこまで本当かも分からない又聞きの話を関心されて恐縮してしまいました。ご婦人は、満開の桜の花を見ていると嫌なこともみんな忘れる事が出来ますねと言いました。嫌な事というのは何なのかを聞くのは憚られるので、そうですねとだけ答えました。

上野公園や墨田川河岸では桜は見れるのは見れるのですが、やはり公園内に入るか川岸を歩くのでないと堪能は出来ません。どうにも中途半端な感じですが、飛鳥山は少し遠いですしどうしますかと聞きました。ご婦人は是非とも行きましょうと言います。あまり知らない街並みを見るのも楽しいですし、桜が満開の飛鳥山も見た事がないのだと言います。何しろ今年が最後のお花見なのですから全部見ますよと言います。私はどう答えたらいいのか少し迷いましてが、来年の最後のお花見に行くところが無くなりますけど、桜が満開の飛鳥山は私も見た事がないので私も行きたいですと言いました。ご婦人はまた嬉しそうにうふふと笑うのでした。

 飛鳥山公園の桜

 向島の墨堤通りから言問橋を渡り、言問い通りを本郷通りへ向かって走っている間、ご婦人はかなり熱心に外の景色を眺めていました。私は何を見ているのですかと尋ねました。ご婦人は、私は東京に住んで70年以上にもなりますけど、この辺りを見るのは初めてなので、まだまだ東京にも知らない所があるのだなと思っていたのですよと言いました。吾妻橋を渡る前にも浅草の街を眺めて黙り込んでいましたよね、と私が言いますと、あの時は浅草の街が懐かしかったのですと言いました。お友達とよく遊びに来たそうです。何時も一緒だった二人のお友達は二人とも先に逝ってしまいましたけど、まあ私ももう直ぐ会いに行けると思いますけどねと言いました。やはりそうなんだと私は思いましたが、今更聞いて妙に沈んだ空気になったりしても嫌なので、あくまでとぼける事にして、もう直ぐというのは10年後位という事ですかと言いました。ご婦人もとぼけているのを分かっているのでしょう。今日一番の大笑いで面白い人ですねと言い、10年後は私は百歳ですよと笑い続けました。

 
 西ヶ原の交差点を左に曲がると程なく飛鳥山が見えてきました。大きな桜の塊に見えます。八代将軍吉宗の命で植えられたと聞いていますが、もっと見晴らしの良かっただろう江戸時代には、かなり遠くから見えたに違いなく、江戸の町からはるばる歩いて来た人達も感動して見ていたに違いない等と考えてしまいました。ご婦人も凄いですねと言い感動した様子でした。やっぱり来て良かったですね、まるで桜の島のようですね、あるいは桜の船ですね、と言いました。それはようするに桜のひょっこりひょうたん島という事ですかと言うと夫人は大笑いしました。それほど面白い事を言ったつもりはなかったので、少し引いてしまいました。飛鳥山が予想以上に奇麗だったので上機嫌のようでした。

 王子駅の先まで行ってUターンをして、再び飛鳥山の前を右折し明治通りで戻ります。ご婦人は名残惜しそうに飛鳥山を眺めていました。

 帰り道

 西巣鴨を過ぎ上板橋の辺りでここはどこでしょうかと聞かれたので、上板橋ですねと答えると、この通りは何と言いましたっけと聞かれるので、明治通りですと答えました。ご婦人は、私は運転をしないので分からないのですけど、明治通りというのはあまり見覚えのない所ばかりを走るのですねと言うので、そんなことはないと思います、この先はきっと知った所になると思いますよ答えました。

 池袋の街中に入ると少しキョロキョロしながら、随分とビルだらけになりましたねと言われるので、池袋ですと答えました。するとご婦人は窓に顔を寄せて、じっと外を眺めながら、そうですね池袋ですねとおっしゃいました。池袋にはたくさんの思い出があるそうで、ここで働いていた事もあるという事でした。それも戦前の事だそうです。亡くなったご主人と知り合ったのも池袋で、その頃は珍しい恋愛結婚だったと、恥ずかしそうに話されました。当然、親は猛反対で、駆け落ちをしたそうです。何処へ行き何をしてどうして東京に帰って来たのか等を詳しく聞きましたが、それを書きますと本人を特定される可能性がありますので控えさせていただきます。新宿の職安通り辺りまでその話をされていましたが、花園神社を見るとご主人と酉の市に来た話をされ、新宿は映画を見にもよく来たそうです。伊勢丹や高島屋へはお友達と来たと話されました。千駄ヶ谷小学校を右折して原宿駅前ではお友達と遊びに来た事、明治神宮の表門の前ではご主人と毎年初詣に来た事を懐かしそうに話されました。ご婦人は、明治通りは、懐かしい所ばかりを走るのですねと言うので、私は思わず笑ってしまいました。すでに明治通りは外れてますし、明治通りは見覚えのない所ばかりを走ると言っていたのを思い出したからです。

 池袋からずっと話続けられたご婦人は、こんなに喋ったのは何年振りかしらと言われ、つまらない話を聞かせてごめんなさいと言われました。私はそんなことはありませんお話も面白かったですと言いました。私はご婦人の受け答えのしっかりしたところや、車に乗られる時も杖を付いているとはいっても、、自分の足で歩いて来られた事などを、とても90歳とは思えず感服していました。最近は病院か近所のスーパー以外には行かなくなってしまいましたけど、今日は思い切って出掛けて本当に良かったですとおっしゃるので、私の方こそ東京の花見の名所を巡れて得をした気分ですと答えました。

 来年も是非、最後のお花見に出掛けてくださいと言うと、ご婦人は「はい」と答えられ、うふふとうれしそうに笑いながら降りていかれました。

 

画像は成城の東宝撮影所付近の千川です。あまり人のいない穴場スポットです。ただこの日はまだ七分咲きくらいでした。